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1994年10月10日(第2日目) ピョンヤン


●朝食
次の日は朝早くからたたき起こされた。いよいよ市内観光だ。朝食はパンと꽈배기(ねじり揚げパン),おかゆに餅というスタイルで,おかずはハムを薄く切って油で揚げたものとか,魚の塩からとかがでた。中国式なのだろうか。ふつう韓国のホテルで食べるアメリカンスタイルのブレークファーストどはほど遠い。トマトやレタスなどの野菜は全くない。この旅行中,本当に野菜にお目にかかるチャンスはなかった。統一がとれない変わったスタイルの朝食は,次の日もまた,観光地金剛山に行ってもほとんど同じものが出された。正直言って,北朝鮮観光は観光旅行につきもの食べる楽しみがまったくなかった。これで全日程26万円では高すぎる。



●退屈な迷宮・平壌市内観光の始まり
さて,バスに乗り込んでの観光は,目的地についてバスから降りると,その周辺を案内員と一緒にぐるっと回るだけのもので,一般市民との間には全くの接触の余地がない。最初の見学地である高くそびえ立つ凱旋門の前に降り立ったときも,周りには誰もいない。土産物屋があるわけでもないし,絵はがきや特産品を売りに来る人もいない。だだっ広い道を凱旋門をくぐって時おりベンツが数台全力疾走で駆け抜けるだけ。考えてみれば,ただ単なる大きな石の固まりに過ぎないこの門を見物に市民の誰が来るのだろう。パリの凱旋門のようにカフェでもあってにぎわっていれば別だが…。



凱旋門
外日成将軍の祖国凱旋を記念してチュチェ思想塔などとともに,チュチェ71(1982)年4月に建立された。牡牡丹峰の麓,金日成競技場前十字路に立っている。高さ60m。アーチの真下を大通りが貫き,両脇はロータリーになっている。本家パリの凱旋門より10m高い。純白の絶壁は,さすがにどっしりとした貫祿だ。正面アーチの真上には,将軍を讃える詩が刻まれている。
最初の訪問地は凱旋門
観光初日。朝早くからたたき起こされ,せっせとピョンヤン市内を見学して回った。われわれははじめての旅だから物珍しいが,案内人は毎日。無味乾燥な観光地を案内し,同じ説明の繰り返しで飽きないのだろうか。
凱旋門の柱
両柱にはブロンズの勇ましい群衆の彫刻があり,左に1925,右に1945の年号が刻まれている。将軍の出発の年と凱旋の年とを表しているのだそうだ。
凱旋門前の広場
凱旋門の前の広場に掲げられた金日成将軍の祖国凱旋の壁画の前を歩いていく少年たち。


●綾羅島5.1競技場
次に訪れたのは,韓国とのサッカー親善試合が行われたという綾羅島5.1競技場。
見学者はたった13人のわれわれ旅行団だけ。15万人収容だという競技場も空しく口を開けている。正面に掲げられたわれわれを見おろしている金日成の写真だけが異様だった。この競技場は世界最大級のもので,2002年ワールドカップの競技中一部をここで開催しよう,という南側の提案があったが結局は北はこれを拒絶した。
競技場内部
見学者はたった13人のわれわれ旅行団だけ。15万人収容だという競技場も空しく口を開けている。正面に掲げられたわれわれを見おろしている金日成の写真だけが異様だった。
競技場外部
この競技場は世界最大級のもので,2002年ワールドカップの競技中一部をここで開催しよう,という南側の提案があったが結局は北はこれを拒絶した。
●競技場の前で案内人と
日本語が流暢で,全く私に朝鮮語を使わせるすきを与えない。外国語なんてその国に行かなくても習得できるんですね。

●チュチェ塔
案内員はわれわれに「平壌」という北朝鮮のショーウィンドウを短時間にいかにくまなく案内するか必死だ。競技場を後にして大同江にかかる橋を渡り,今度は主体思想塔へと向かう。塔の前で日本人妻である案内員から,いかにしてこの塔が造られたか,花崗岩がいくつ積み上げられているのかの説明がなされている間,誰ひとりとして珍しそうにわれわれを見学に来る市民たちはいない。韓国ならば,外国から来たわれわれを遠くからでも興味津々と見る市民たちや子供たちが必ず現れ,「どこからきたのか?」などと,ひとことふたこと質問をしてきたのに…。この日は休日だったにも関わらず,一般市民ならば誰でものぼれるというこの平壌市内を見おろせる塔に,見学に訪れる市民たちは一人もいなかった。なぜなのだろう?


●塔のてっぺん
チュチェ塔は,故金日成主席の70歳の誕生日に,息子の金正日総書記がプレゼントしたもの(1982年に建立)で高さは170m(その内烽火の高さ20m),ピョンヤン市内では,一番高い建造物だ。北朝鮮発行の観光パンフには「世界で最も高い石塔であり、その造形美と建築技術は優れている」と書かれている。よくこれだけの塔が崩れないものだ。
●塔の内部
外観は偉容を誇っていても内部は以外とちゃちな作り。ベニヤで仕切られた小さな部屋がいくつかある。外国の賓客用で塔に上る人たちが多いときにはここで喫茶をのみながら順番を待つようだ。
●塔の案内は日本人妻
塔の案内は,あちこちの旅行記に登場するが,小林久子(1931年生まれ)さんという,夫について北に渡った日本人妻。話を聞くと出身は横浜の鶴見だとか。しかし,来る日も来る日も同じ説明をご苦労さんですね。この説明のブロンズ像の人民が手に持っているのは,筆と鎌とハンマー。
●ぐるっと回るとアパート群が
大同江の反対の地域は労働者の居住区になっている。異様なコンクリートの群れは死んだような都市を象徴するかのようだ。よくよくのぞき込んでも人の住んでいる臭いがしない。
●チュチェ思想塔
チュチェ思想とは金日成の名のもとに唱道されている朝鮮民主主義人民共和国の思想原理。 自力更生論をいっそう包括的な哲学体系に発展させて, 1960 年代後半以降チュチェ 思想と呼ぶようになった。 一般的には「他人の力を借りず自体の力で困難から脱出し自立的に生きていくこと」だが何でもひとりでやることには限界があるのでは…。
●巨大な映画セット
見学時間はわずか15分足らず。塔の上に登ってみると 眼下に大同江が流れ、正面に人民学習堂、その前に金日成広場…,そして万寿台と,ピョンヤンの街がパノラマのように見渡せる。
景色のいい日には,何時間でもこの塔の上から,全く動きのないピョンヤンの巨大な映画セットをボーっと眺めていたい,なんてことを考えていたらさっさと降りるように催促された。
上の写真は大同江の鉄道鉄橋。遙か向こうには羊角島(ヤンガクト)ホテルが見える。
●夜になると光る烽火
塔のてっぺん部には赤い巨大な のろしの造形 が載っていて,夜になると赤々と炎のように揺らぎながら光る。まるで巨大なおもちゃの照明台だ。

●粗大ゴミも一覧
はるか彼方には東洋一の瓦礫と称される「柳京ホテル」の無惨な姿が眺められる。ちなみにこの「柳京ホテル」を指さして簡単な会話練習「チョゲ ムオエヨ?(あれは何ですか)」と意地悪く案内人に質問してみるが,ただ黙って笑うだけ。


●万寿台大記念碑
首都の中心の小高い丘。1972年に金日成生誕60周年を記念して建立された金ぴかの銅像を中心に,両側に記念塔,銅像の後ろの革命博物館には全面の大モザイク壁画が描かれている。大記念碑とは,これらの総称である。


万寿台の金日成像
銅像の高さは,その下で献花する人民の背丈と比べてみるとよく分かる。本当は,このように足だけチョン切って撮影してはいけないそうだ。銅像の背景は,北朝鮮の革命伝統の象徴である白頭山のモザイク壁画。南北統一の暁には,粗大ゴミとして処理されるのだろうか。名所として残してもいいような気がするが。
万寿台噴水公園で休日を楽しむ兵士たち


●ピョンヤンの地下鉄
平壌の地下鉄は1973年に開通,全長34kmで2路線17駅がある。6時始発,22時30分終電で,ラッシュ時には3分に1本普通の時は5〜6分に1本の割合で運行されている。
観光客は全て監視の元に,原則としてここ富興駅から隣の栄光駅までしか乗車できない。


地下鉄駅の入り口
○の字に地下鉄の지のハングルが書かれている。いたってシンプルで,デザインという感じではない(栄光駅で)。
行き先案内板
駅名は「戦勝」「戦友」「凱旋」「勝利」…。こんな名前で乗り間違えないのでしょうか。
自動改札口
自動改札になっている。10チョン硬貨を入れ地下に降りる。
地下鉄ホームに降りるエスカレータ
この黄色のボックスには人が入っていてエスカレータの制御をしている。もう一つの目的は,乗客の監視かもしれない。

●ピョンヤンの産院


地下鉄駅の入り口ピョンヤン産院の受付
無理を言って,ピョンヤン産院を見学させてもらった。どれが患者なのか,エキストラなのかわからなくなってしう。何のための病院なのだろうか。ピカピカに磨かれた床に注目。


元山


元山の街を,勇ましいかけ声をあげて登校する小学生たち
どこの街角でも朝の風景は学生,生徒の登校風景が見られる。首に巻いた赤いマフラーが印象的だ。でも,近くで見ると,このマフラーもアカがこびりついてる。背景に見えるトラックが年代物だ。そして,もう一つ,右の後ろには頭に物を載せて運んでいるアジュモニ。物を運ぶ姿は,北も,南も同じだ。

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